自由へのイノベーションに囚われて

イノベーションと生命科学のあいだ

手づくりの本質

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Photo by Erica Leong on Unsplash

18世紀に産業革命が起きてからの人類史は、自動化の歴史と捉えられる。21世紀はソフトウェアが猛威を奮い、Osborne氏の『雇用の未来』によれば多くの知的労働もなくなるとされている。こんな時代の手作りの意味とはなんなのだろう。

手づくりのエモさ

まず1つ考えられるのは、手作りが生む「物語」の価値だ。いま風に言えば「エモさ」なんだろう。「手づくり」という言葉を見聞きすると、田舎で、職人さんが時間をかけて、丁寧につくってくれた光景が自然に浮かんできたりする。

人はいつの時代も物語を求めている。物語に深く共感すれば、人々は高いお金を払うことも厭わない。「手づくり」に紐づく「物語」という無形の価値は、いまなお、いや、必要が満足されたこれからこそ価値を増す。

エモさは間違いなく手づくりの価値の1つだ。でも、手づくりにはもう、エモさしか残っていないのだろうか。

手づくりの本質

筆者の大好きな番組の1つに、「プロフェッショナル仕事の流儀」がある。1年くらい前に、「豪華列車を作る職人たち」という回があった。列車デザインで有名らしい水戸岡鋭治さんがデザインした列車を、金物の職人や組子職人たちがそれぞれのベストを尽くし、それらが組み合わさって豪華列車ができていくプロセスに密着したものだった。

それを観ていると、あることに衝撃を受けた。職人さんは、水戸岡さんのデザインの要求に到達するよう懸命に試行錯誤するのだが、その過程で「どうしたら目的に辿り着けるのか?」という問いが、「そもそもこの目的が本当にベストなのか?」という問いに変わっていったのだ。

その結果どうなったか。なんと水戸岡さんのデザインを超えたモノがつくられ、完成した豪華列車は水戸岡さんがデザインした紙の上の列車より優れたものになっていたのだ。

手作業は、”効率”は悪い。しかし、手作業ならではの時間の流れの中で、人は試行錯誤する。その時間のゆとりの中で数々の問いが生まれる。そして、その問いから計画を超えたアウトプットが生まれたり、新しい技術が副産物として生まれたりする。つまり、手づくりの本質は、「試行錯誤によって問いが生まれ、イノベーションが生まれる確率が高まる」ことにある。

大量生産やコンピュータは”効率”は良い。なぜなら、それは人間が「固定された目的」に最適となるようにプロセスやプログラムを組むからだ。その結果、目的に適ったアウトプットは効率よく生まれるが、そこから進歩が生まれることはない。

終わりに

手づくりという行為は、別に職人に限ったものではない。あらゆる職業の人がなんらかの手づくりをしている。

おそらくエモさ以上に重要な手づくりの価値が、「試行錯誤によって問いが生まれ、イノベーションが生まれる確率が高まる」ことなんだと思う。これは逆に、試行錯誤をしない手づくりは単なる時間の無駄であり、大量生産した方がよいと考えることもできる。効率の良い手づくりは無意味とも言えるかもしれない。

筆者は別に大量生産を否定しているのではない。むしろそれは、たいていの場合に素晴らしい。コストのせいで届けられなかった人々にも製品を届けられたりするのだから。

しかし、生産がすべて大量生産になってしまった社会は、イノベーションを生む力が弱まり、脆くなるのではないだろうか。前にも書いた通り、極端に偏ったシステムは脆いのだ。 

『幸福論(幸福の獲得)』でRussellが告白する通り、一部の人にはこの「バランス」だとか「中庸」というアイデアは物足りず好まれない。しかし、結局すべてはこの自然の摂理に支配されているのだから、この「バランスが大事」というアイデアはあらゆることで受け入れざるをえないと個人的には思う。

さあ、今日も手づくりを大切に仕事に戻ろう。