自由へのイノベーションに囚われて

イノベーションと生命科学のあいだ

長続きしないのは解像度が低いから

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Photo by freestocks.org on Unsplash

「長く続かない」。これは人生にずっとつきまとう問題だ。周りから価値のある人間として認められたり、恋人との幸せな関係が長く続けばいいのにと願う。そのためには長続きが大切なのはわかっているけど難しい。長続きさせるための秘訣は本もたくさん出ているし、ググってもいくらでも出てくる。だけど、少なくとも1つ語られていないものがある。

感じ方は人それぞれ

同じものに出会っても、わたしたちの感じ方はそれぞれ異なる。

どこで読んだのか思い出せないのだけど、印象派クロード・モネは(たしか)友人と近くの池に出かけたことがある。友人は少しして池を眺めるのに飽きてしまったが、モネは何時間も池を眺め続けていたという逸話がある。友人はそれがモネの才能だと言った。

夕陽がきれいだと有名な観光スポット。ある人は、インスタのための写真をさっそく撮りだしてすぐに満足し、離れる。ある写真家は、夕陽をいつまでも見ていたいと願い、シャッターを切り忘れる。見ている夕陽は同じだ。

アプリ。ある人は、アプリを開いてタイムラインを少しスクロールしたらすぐ閉じる。あるデザイナーは、UIの些細な変化に気づき、その裏にある考えを想像する。開いたアプリは同じだ。

ミルクシェイク。あるビジネスマンは、ミルクシェイクを買う客を見て「何か飲みたかったのだろう」と想像する。ある優れたビジネスマンは、「長い運転の気を紛らわすために買ったのだろう」と想像する。

昔の自分と今の自分のあいだにもこういう感覚は生まれる。こういうちがいは、どうして生まれるのだろうか。

解像度

ディスプレイで重要視されるスペックの1つに解像度がある。解像度とは、面積当たりのピクセルのことだ。1280×1024のように表される。解像度が高いほど、写真など対象をより緻密に表現できる。

実は、先の感じ方のちがいも解像度によるのではないだろうか。ここでの解像度は「対象から知覚できる情報量」を指す。

あることに熟達した人は、そのあることを見たときに未経験者よりはるかに多くの情報を得られる。例えば、将棋のある局面をみたとき、わたしたちと羽生善治さんで得られる情報量に違いがあるのは容易に想像がつく。

モネが池をずっと眺めていられたのは、訓練していない人よりもはるかに多くの情報を池から受取ることができたからにちがいない。『睡蓮』と対面したことがある方には頷いてもらえると思う。

https://www.instagram.com/p/BiBzolQnCuV/

Re union with Water Lilies by Monet. When I close to see it, I can't imagine the touches make leaves. #touch #leave

脳科学的にみれば、解像度は脳のフィルターを緩くすることで高められているのだろう。脳は膨大な情報を環境から受け取っているが、そのうちのわずかしか意識には届けないらしい。その情報量は、対象が個人にとってどれだけ重要かによって異なる。どうでもいいと思っていることは、厳しくフィルターされて最低限の情報が意識に届けられる。大切だと思っていることは、フィルターが緩められ、多くの情報が意識に届けられる。実際、サヴァン症候群の方には数秒みただけの風景をほぼ完璧に描ける人などがいて、これはフィルターが相対的に緩いためだと解釈されている。

長続きと解像度

いつもプロフェッショナル仕事の流儀を引いてしまうのだけど、福島県白河市で「とら食堂」を営むラーメン職人、竹井和之さんに密着した回があった。

竹井さんの生活は朝から夜までラーメン漬けだ。本人も言っているように毎日が同じことの繰り返し。それでも竹井さんは、その単調な繰り返しを40年以上続け、いまや全国から客が殺到するラーメンをつくりあげた。なにより、竹井さんはいつも心から楽しそうな顔をしている。

これは単に竹井さんがラーメンが好きだからというわけではない。竹井さんはラーメンが好きだから、日々ラーメンをつくる過程に新しい発見をしていた。つまり、ラーメン作りに対する解像度を日々上げていたのだ。これは、どうみても創造的な行為だった。

人間は新しいことが好きだ。だから、日々が単調な繰り返しであっても、創造的に新しさを発見し解像度を上げ続けることができれば、楽しく続けていくことができる

恋愛と解像度

長続きしないことで人間がもっとも悩むことの1つが恋愛かもしれない。「なんとなく飽きちゃった」とか「なんか新鮮さがほしくなった」とか、そういう言葉を口にしたりする。

でも、もしかしたらその原因は飽きた側にあるのかもしれない。新しさを相手が与えてくれるものとして捉えるのではなく、能動的に新しさを見つけていく姿勢があったら。つまり、相手への解像度を上げていく姿勢があればちがったのではないか。

恋愛という言葉は、恋と愛という2つの言葉からできている。けど、その2つはまったくちがうものだと思う。

恋は、生物学的な欲求にしたがった関係にすぎない。恋には「胸のときめき」とかそういうメルヘンな形容がつくけれど、それらは殖えようとするDNAによってつくりだされているだけだと思う*1

愛は、生物学的な欲求を超えた先の関係だ。だから、恋は簡単にできるけれど、愛に変え、続けていくのはすごく難しい。愛は、創造的な発見によって解像度を高める知的な行為によって続いていく。Erich Frommが『愛するということ』で言っているように、愛は理性でつくりあげていく関係なのだ*2

終わりに

なにかにすぐ飽きて長続きしないのは、解像度を上げられていないからかもしれない。解像度を上げるのは、繰り返し出会う対象に新しさを発見し続ける、創造的で、知的な行為だ。

今日は繰り返しの中にどんな新しいことを発見しようか。

*1:もちろん筆者はRichard Dawkinsの『利己的な遺伝子』に傾倒している

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

*2:

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版