自由へのイノベーションに囚われて

イノベーションと生命科学のあいだ

自動運転よりも実装すべきデザイン

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Photo by Alessio Lin on Unsplash

少し前に、警察特捜という番組を偶然みた。ひき逃げ事件の犯人を追い詰める警察に密着していて、その腕はたしかにすごかった。ただ、番組の雰囲気は幼稚で、犯人(悪)が警察(善)によって捕らえられるのを称賛するヒーロー物語だった。

悲惨な交通事故の原因を、加害者にだけ押しつけるのは楽だ。でもそれを続けている限り、交通事故が減ることはない。感情に支配されているうちは何も変えられない。人類は地震やウイルスなど様々な自然災害によって命を奪われてきたが、それらに理性で対処するようになったことで多くの命を守れるようになった。ここでは、交通事故を劇的に減らすためのデザインについて提案する。

警察庁によれば、2017年の交通事故による死亡者数は3,694人だった*1。毎日10人以上の命が奪われていることになる。死傷者に広げれば、その数は60万弱にもなる*2。日本人が生涯で交通事故に遭う確率はどれくらいかご存知だろうか?実は、50%弱だと試算されている。

自分だけでなく大切な家族や友人まで考えれば、誰かしら交通事故に遭ってしまうのが今の世の中だ。それでも人間は愚かなもので、どんなに自分に関係あると言われ数字を見せられようと、すぐに忘れてしまう。だからここで、1つの手記を引用する。

(前略)出生時の体重は三,三〇〇グラムもありましたが、その後の母乳の飲みが悪く、大変心配しました。そしてそんな娘、祥子を主人は、まるでガラス細工でも扱うかのように毎日お風呂に入れてくれたのです。赤ちゃんの時は、よく高い熱を出して心配しました。しかし三歳を過ぎる頃になると元気で活発な子に成長してくれたのです。

祥子はおもちゃなどはあまりほしがらす、綺麗な箱やおりがみを集めるのが好きでした。その紙でブレスレットやネックレスなどを作っては、「お母さんにプレゼントだよ。」と、よく私のエプロンにセロハンテープで飾りつけてくれたのです。そして、小学校に入る年、初売りで一緒に選んだ机に座り、小学校に行く日をとても楽しみにしていました。学校までは大人の足でも二十分ほどかかり、国道沿いを歩くため交通量も多く心配でしたので、入学する前に学校までの通学路を何度か歩き、危険な場所や横断歩道の渡り方を練習しました。自分の足で歩き、初めて小学校の校門をくぐった時の、なんともいえない嬉しそうな祥子の顔が、今も目に焼き付いているのです。

(中略)我が家は以前ブドウ畑だった所に建てたせいか少し小高くなっており、また、広い道路から少し中に入っていることもあり静かで、緩い坂を登り学校から帰ってくる子供たちの様子が、手に取るように解るのです。子供たちの話し声や笑い声、飛び跳ねるように歩く元気な足音、そしてカバンの中で教科書がゆれる音まで、家の中に居ながらに感じるのです。そんな中でも私は、二階の窓から祥子が花を摘みながら帰って来るのを見ているのが好きでした。私が声をかけると嬉しそうに手を振り息を弾ませ、家の前の坂道を一気に駆けあがって来るのです。赤いランドセルに付けた鈴の音が祥子の動きに合わせるように、だんだん近ずいてきて玄関の戸が勢いよく開き、「ただいま!」の声とともに家に飛び込むように帰って来るのです。

(中略)その日は、朝は涼しかったものの子供たちが帰って来る昼過ぎには夏を思わせる天候になっていました。私は家でいつもより帰りの遅い子供たちの帰りを、いまかいまかと待っていました。確か午後の一時過ぎ頃だったと思います。自宅の電話のベルがなりました。聞き覚えのない女性の声で「祥子ちゃんが事故に遭いました。頭を強く打ったみたいです。すぐに来て下さい。」確かそんな内容だったと思います。一瞬なにを言われているのか解りませんでした。しかしその電話のむこうから、聞き覚えのある上の子峻の泣き叫ぶ声が聞こえてきたのです。私は頭がガンガンしてなにも考えられなくなりました。怪我をしていると悪いと思い保険証だけをなんとか探し出し、教えられた事故現場へと急いだのです。自分の車で向かったのですが、途中で事故の為か車が進まなくなり、道路脇に乗り捨てるようにして走りました。途中で祥子の同級生の何人かと会いましたが、その子供たちが泣きながら擦れ違って行くのを見た時、私はただならぬものを感じたのです。

やっとの思いで事故現場に着いたものの、祥子はすでに救急車で運ばれた後でした。私がどうすればいいかわからないでウロウロしていると、学校の先生が側に来て「今どこの病院に運ばれたか調べています。ここに座って待っていて下さい。」と言われ、近くの石の上に腰を下ろしたのです。まもなく峻が先生に連れられてきたのですが、しかしその峻のTシャツを見て驚きました。血で真っ赤だったからです。どこか怪我をしたのではないかと思い調べてみましたが、どこにもそんな傷はありませんでした。まもなく運ばれたさきが県立救命救急センターであることが解り、先生の車で峻と一緒に駆け付けました。「どうか無事でいて!」そう祈ることしかできませんでした。急いで行ったものの、病院に着いてもなかなか祥子に会う事が叶いませんでした。また事故の状況についても「車が急に突っ込んできた。」という事だけで、それ以上のことはなにも解りませんでした。待合室に警察官が来ていましたので事故について聞いてみましたが、「詳しい事は解らない。」との返事が帰ってきただけでした。事故の状況も祥子の怪我の状態もなにも解らないまま、ただひたすら座って待つことしかできなかったのです。

そんな中、私はだんだんうまく呼吸する事ができなくなり、椅子に座っていることも困難な状況になっていきました。ガタガタ震える私の肩を抱いてくれていた、当時まだ小学校三年生だった峻が「お母さん、大丈夫だ、祥子が救急車に乗せられちゃうとき、僕が『祥子!』って呼んだら、祥子『お兄ちゃん』って答えたんだ。だから、絶対大丈夫だ。」そう言ってずうっと支えてくれていたのです。しかし、私たちが病院に着いてしばらくした頃、事故で一緒に巻き込まれて怪我をした子のお母さんが待合室に入っていらして、すぐに処置室に通されその後またすぐに安心した顔で戻っていらしたのをみた時、これはおかしいと思いました。私は胸が張り裂けそうな思いに耐えきれなくなり、会わせてほしいと訴えました。しかし、その時には私はもう足がしびれ、感覚がなくなり、歩けるような状態ではなくなっていたのです。看護婦さんがいらして私は抱きかかえられるようにして祥子の待つ部屋に向かったのです。しかし、通された部屋で目に入ってきたものは、私の思いなどはるかに越える想像を絶する状況だったのです。そこには、峻と私の必死の願いを打ち砕く光景が、待ち構えていたのです。

ここからの私の記憶はとても鮮明な部分と、霧がかかっている様な部分があります。それは、自分の心の奥底深くに永遠に閉じ込めておきたい光景なのです。

(中略)ベッドにいたのは祥子でした。信じたくありませんでした。私が側に来たことも解らないのです。名前を呼んでもまばたき一つしてくれないのです。「なんとかして!たすけて!心臓でも手でもなんでも私のを使って助けて!」そう、医者に必死に必死に頼みました。しかし、そんな私に、「手は尽くしました。九十九%だめです。」と医者が告げたのです。「いやだ、たすけて!たすけて!」そう繰り返す事しか私にはできませんでした。母親なのになにもしてあげられないのです。目の前に苦しんでいる祥子がいるのに、代わってやる事も、治してやることも、痛みを和らげてやる事も、そして、抱いてやる事さえも叶わないのです。私にできたのは、だんだんと冷たくなっていく祥子の手をさすってあげる事だけだったのです。

(中略)私は何が起こっているのか解らなくなっていました。まるでテレビドラマのワンシーンの中に迷い込んでしまったような不思議な感覚に襲われていました。もうすでに冷たくなってきた祥子の手をそれでも必死に擦り続けていた時、看護婦さんに「祥子ちゃんに、新しい服を持って来てあげてねお母さん。」と言われ、『そうだ、早く家に連れて帰ってゆっくり休ませてあげなければ。』そう思い、家に取って返しその夏祥子が着るのをとても楽しみにしていた真っ白なワンピースを持って、病院に駆け付けたのです。祥子は髪を綺麗に結い直してもらい、白のワンピースに着替えさせてもらい、まるで眠っているかのようでした。しかし、私がいつものように祥子を抱いて車に乗せようとしたとき、いつもは吸い付くように私に抱かれてくる祥子の体が、鉛のように重く、石のように堅かったのです。顔を少しでも横にすると、脱脂綿をいっぱいに詰められてしまった口から血が溢れ出し、真っ白なワンピースをみるみる真っ赤に染めて行きました。しかし、そんな状況を目の当たりに見ても、祥子の死など受け入れる事などできませんでした。『早く家に連れて帰り、ゆっくりと休ませてあげなければ』という思いしかなかったのです。

私は自分で自分がわからなくなりました。祥子が死んでしまったのに、涙が出ないのです。「おかしい、おかしい、なに、何がおこっているの?」そんな叫びが、心の中で大きく渦巻いていました。やらなければならない事は、なんとか流されるように、こなしてはいたものの自分の心が見えないのです。斎場で最後のお別れを祥子にした時のことです、「もう、だっこしてあげられないし、髪も結ってあげられない、ごめんね。ごめんね。」そう私が言うと、プクプクと細かな泡が祥子の口から出てきたのです。そして信じられないかもしれませんが、涙が両方の目から流れ出し祥子の頬を伝ったのです。私はその涙を見た時、祥子をやはりひとりではやれないと思い棺にしがみつき共に逝こうとしました。

(中略)事故は過去に糖尿病で何度か意識を失ったことのある加害者の運転する車が集団下校中の小学生の列に突っ込み、娘を直撃し死亡させ、もう一人の男子生徒に怪我を負わせたものでした。当然きちんと罰せられるものだと思っておりました。ところが、事故から一年半後、私どもに何の連絡もないまま不起訴で終わっていたのです。なんの落ち度もない娘が殺されたにもかかわらず、加害者はなんの罪にも問われなかったのです。信じられませんでした。娘の無念を晴らし、きちんと加害者の犯した罪を裁いてもらう為の、私どもの新たな戦いがそこから始まったのです。(後略)

「会いたい」 渡辺理香

このような悲痛な事件が少なくとも日本だけで毎日10件も起きている。次はあなたやあなたの大切な人かもしれない。

抑止力としての罰

日本で、運転手にこうした過ちを犯さないように働く社会的な抑止力は「罰」だ。罪の重大さによって、罰を重くするように法がつくられる。その罰の存在によって運転手の過ちを防ごうとしている。

もちろん、懲役を経験したいと思う人はほぼいない。だから、罰をつくれば人々は気をつけて運転するようになるはずだというのが法の1つの解釈だ*3

しかし、実際には先に見たとおり罰による抑止力は全く十分でない。つまり、刑罰は犯罪を防ぐためにつくられると解釈する立場(目的刑論)は、人間を過度に合理的な存在として捉えているということだ。罰以外による抑止力が必要だ。

不完全な人間

近年のノーベル経済学賞行動経済学の成果に与えられているとおり、人間はかつての経済学が当然としていたように合理的ではない。罰があることはわかっていても、それは自分に関係のないことだと認識し、軽率な行動をとってしまったりする。正常性バイアスとよばれる認知バイアスの1つだ。

それから、人間は強い力を手に入れると傲慢になってしまう。1963年に発表されたミルグラム実験アイヒマンテスト)という心理学研究がある。実験には「体罰と学習効果の測定」として80名が被験者として参加した。隣の部屋にいる生徒役の答えが間違うたびに、講師役はより強い電気ショックを与えることを要求された。実際には、生徒役に電気は流れていないので苦しんでいるふりをしているだ。電圧が上がるにつれ生徒役も絶叫するが、最終的には60%以上の人々が致死とされる強さの電気ショックを与えた。映像をみると衝撃的だが、中には電気ショックを与えるのが楽しくて仕方なく笑いをこらえきれない人もいた。

住宅街を歩いていると、少なくとも1台は歩行者を邪魔者としてしか見ていないのではないかと思わされるスピードで走る車とすれ違う。これはミルグラム実験の結果を考えれば、車という強い力を手に入れると、人が傲慢になってしまうことが現れているのだと解釈できる*4

正常性バイアスミルグラム実験の権力効果とでも呼べそうな心理現象から逃れるには、途方もなく強靭な知性がいる。もちろん、正常性バイアスや権力効果を防ぐというアプローチはありうる。だけど、それで劇的に減らすことは難しいだろう。心理現象は人間という存在と切り離せない性質で、コントロールするのは難しいからだ*5。だからはっきり言ってしまえば、現在のような大規模な人間社会から、交通事故を起こしてしまう人が0になることはないだろう。

人間社会の犯罪者と警察官の関係は、私たちの身体の中の状況によく似ている。生物の体内では毎日、数百から数千の癌細胞が生まれていると試算されている。それなのになぜわたしたちが元気に暮らしてられるかというと、免疫細胞がそれら癌細胞をきっちり殺してくれているからだ。健康とは、癌細胞の増殖を免疫細胞の殺傷能力が少し上回っているという動的平衡のことなのだ。社会の健康(治安)もこれと同じで、悪い人の発生を0にすることはできない。

命を守るデザイン

罰も行動経済学的アプローチも不十分ならば、どうしたらいいのだろう。結論を言えば、デザインが大きな成果を生み出せると信じている。人間はあまりに複雑で理解できないからコントロールするのは難しいが、車という人工物ははるかに単純でコントロールできるからだ。

少なくともデザイナーと名乗る者は、人工物による事故を人間のせいにしてはならない。これは、Don Normanの偉大な成果だが、基本的にヒューマンエラーはデザインに問題があると捉えられるべきものだ。交通事故も理性で捉えない限り、劇的に減らすことはできない。

車といえば自動運転が次に続くのが2018年だ。筆者もアメリカでTESLAに乗ってみた。それは素晴らしい体験だったが、まだ人の命を完全に救うようなレベルには達していなかった*6

現状では、SUBARUのアイサイトが衝突を防ぐデザインとして成果をあげているようだ。だが、衝突につながりうることを事前に防ぐデザインも同等かそれ以上に大切だ。重大な交通事故と高い相関のあるこれらは、制約のデザインで防ぐことができる。

信号無視

これは信号が「赤」であるかどうかという情報を取れればいい。それによって、車を自動で停止させることで防ぐことができる。信号情報の取得は画像解析か、信号のネットワークに車を接続することで実現できるはずだ。

速度超過

これは車の現在位置から走行している道路の法定速度を取得し、それ以上の速度が出ないように制約することで防ぐことができる。もちろん、法定速度が人の命を守るのに本当に適切な速度になっているのか見直す必要はある。

飲酒運転

これはエンジンをかけた後に呼気を取得し、アルコール濃度が基準値以下であるかどうかを判断して、上回っていれば車を動かせないようにしてしまえばいい*7。アルコールを飲めばどんに理性的な人でも前頭前皮質がダウンし、これくらいなら運転しても大丈夫という気になって被害者と自分の人生を壊してしまう。こうした強いデザインは、強い力を手に入れる責任として受け入れるべきものではないだろうか。

無免許運転

これは、免許証にICチップを仕込んで、それを挿入してもらい、登録した運転手と一致しないと動かないようにすることで防ぐことができる。

高齢運転

これは、世界でもっとも深刻な超高齢社会にもっとも早く到達した日本にとっての危機であり機会だ。この課題に優れた解をつくることができれば、それを日本に遅れて超高齢化する国々に輸出して経済を盛り上げることができる。しかしこれは本当に複雑な問題で、車1つのデザインで解決できるものではない。高齢者の尊厳を守りつつ、運転から卒業してもらうことが求められる*8。運転に支障のある身体状態になってからでは遅いわけだから、正常に運転できるうちに免許を放棄してもらう必要がある。何十年も運転してきた自信が蓄積しているわけだから、心理的生涯はとてつもなく大きい*9。さらに、自動車に代わるモビリティが社会になければ暮らしていけなくなってしまう。狭く複雑な道路をつくってしまった日本で完全自動運転が実現するにはまだかかるのではと思うが、超高齢社会は待ってはくれない。少なくとも、日本が愚かにも締め出したUberなどのシェアリングエコノミー産業を潰している場合ではない。なにより優秀なデザイナーが、高齢者に耳を傾け深く深く理解しないと解決できないことは間違いない。

おわりに

制約のデザインは決して楽しいものではない。だからといって、その制約を人の命に代えられるわけがない。もちろん、日本が誇るNintendoに代表されるような娯楽のデザインが掛け合わさればより良い転換をつくれるはずだ。

賢い人ならば、先に提案したデザインが実装した車が多少高かろうと買うはずだ。見知らぬ人とその家族の人生、自分と自分の家族の人生を守れることに比べれば、安すぎるからだ。

しかし、それでも買いたがらないだろう人々はたくさんいると思う。正常性バイアスに囚われているからだ。残念ではあるが、地方自治体あるいは国が規制する必要はあるのだろう。ただ、フリーランスが浸透し土地から自由になったそう遠くない未来の人々にとっては、「交通事故のない街」という標語は特に子育て世代にとって魅力的に見えるに違いない。

命を守るデザインを提案したが、別にこれが答えだと言っているわけではない。世の中が交通事故に慣れてしまい、思考が停止し、議論がないことが大問題だと感じているから書いた。

正直なところ、根源的には歩行者と自動車が同じ空間を共有していることが悪い。少なくとも22世紀の人々からは、歩行者と車がすれ違うなんてことが信じ難い狂気の沙汰になっているに違いない。数十年かかろうと、仙台駅や立川駅のような空中歩道を当然にすべきではないだろうか。そうすれば、人がつくった車で人が死ぬなんてことは、大層なテクノロジーなしに0にできるのだから。この世界はあまりに発展途上だ。

*1:平成29年中の交通事故死者数について

*2:平成29年中の交通事故の発生状況

*3:「犯罪による快楽<刑罰による苦痛」という不等式を理解するならば、その人は犯罪を回避するはず、と考える「心理強制説」と呼ばれている

*4:おそらくそれは、普段、抑圧されている人ほど大きく現れると思う

*5:もちろん、nudgeに代表される行動経済学的アプローチはもっともっと実装されるべきだとは思う

*6:究極的には人間より人工知能の方が安全性という観点でははるかに信頼できるので、将来的にはぜひそうなってほしいとは思う

*7:これは明らかに煩わしいものだが、例えば健康状態をチェックできるなど嬉しいオマケを盛り込むことができれば少しはましにできるかもしれない。

*8:運転からの卒業式があったらいいのかもしれない

*9:比較してしまえば小さい課題ではあるが、大人用のオムツの成功にはヒントがあるかもしれない